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鎌倉時代の食事【武士の食生活】歴史・和食の誕生について解説

鎌倉時代の武士たちが一体どんな食事をしていたのか、興味がある人もいるでしょう。当時の武士たちがどんなものを食べていたのか、知識がないと分からないものです。

日本には「和食」という文化があります。鎌倉時代には、果たして和食というものがあったのでしょうか。

ここでは、鎌倉時代の武士の食生活についてお伝えします。当時の武士たちがどのようなものを食べ、一日に何回食事をしていたのかなど、食事の様子について詳しく解説しますので、是非参考にしてみてください。

現代の食生活と鎌倉時代の食生活にはどんな違いがあるのか、これからご紹介する内容を参考に調べてみましょう。

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鎌倉時代の武士の食事・基本的な食べ物

貴族社会の平安時代から武家政権の鎌倉時代へ変わっていった時、一体、武士はどのような食事をしていたのでしょうか。

地方の豪族や土着の貴族達が武士となって、組織を作る必要が出てきました。その際には、食文化も大きく変わったと言われています。

朝廷に仕える貴族や上級官人の食事は白米に魚介類、そして塩で味付けした野菜を主流となっていました。鮮度の高い肉や魚は都より遠方で採取し、保存食として加工されたものが食べられていたと言われています。よって、栄養バランスが偏ってしまい、短命な人が多かったと言われてます。

一方東国の武士は、食物繊維、ビタミン、ミネラルを豊富に含んだ玄米と、新鮮な採れたての肉や魚や野菜を、醤油や塩、味噌などで味を付けたものと食べていました。
それに加え、混載の煮物や味噌汁、梅干しなどを、戦時は一日5回ほど食べていたと言われています。貴族よりも武士たちの方が実際は、健康で長生きしたとされています。

鎌倉時代の武士はたくさんの米と塩辛いものを食べていた

鎌倉時代の武士は、運動力が多いため、多くのエネルギーを必要としていました。また、塩分の摂取も重要でした。よって、多くのお米と、塩辛いものが主流だったそうです。

平安時代までは、炊くという文化がなく、うるち米も蒸して食べていました。よって、おこわのような強飯(こわいい)という硬いご飯を食べていたと言われています。

鎌倉時代になると、玄米や雑穀などを釜で煮て沸騰させた後、ザルに上げて蒸すという、湯取り法という方法に食べ方が変わって来ます。

武士は、戦の時、1日5回ほど食事をしていたと言います。

おかずは、味噌や醤油、武術の訓練として野鳥や獣狩りをしてそれを食していたため、栄養バランスは良かったと考えられるでしょう。

鎌倉時代の武士の食事の回数

また、鎌倉時代の農業は大きく変化を遂げています。西日本では、二毛作が始まります。春から夏に米を作り、夏から秋には麦を作るという、同じ水田を1年に2回活用するようになりました。このことで、農業の生産は大幅に向上したと言われています。

鎌倉時代の武士の食事と言えばお米です。大量のお米を食べていたといました。平日の食事の回数は1日2回程度ですが、戦になると3回から5回程度も食事をしていたのです。

戦陣に出た時にすぐに食べることのできるように、鎌倉時代にはおにぎりも誕生しました。鎌倉時代のおにぎりは、勿論玄米です。玄米を蒸した強飯(こわいい)を食していました。

強飯は、勿論白米と比べると食べやすいとは言い難いですが、栄養素が豊富に含まれていたというメリットもあります。

鎌倉時代の武士が食事に肉を取り入れて肉食が復活

貴族社会の平安時代は、仏教の信仰が盛んだったため、貴族は肉を食べることを禁止していました。殆どの料理には肉は使用されていなかったと言います。

庶民は、麦類や泡・キビなどの雑穀を粥状にして食べていたものの、上流階級の貴族は、白米も口にしていたようです。形式的な食事や料理を重視したものだった為、平安時代の貴族は不健康だったと言われています。

武家政権の鎌倉時代に突入し、武士たちは、狩りなどをして野生の鳥や獣などの肉を料理に取り入れるようになります。採れたての肉はとても新鮮でした。それをご馳走として、食していたことから、貴族や僧侶たちも徐々に料理に肉を使うようになったと言われています。

鎌倉時代の武士の食事が和食の原型を作った

現在の和食の原型は、実は鎌倉時代の武士の食事だったようです。

食材も揃い、さらに調味料や料理の技術も進化しました。

ご飯は勿論のこと、生ものや汁物、調理法としても炙ったり蒸したり、さらに漬物といった和食の原型が作られた鎌倉時代。味噌など作って酒の肴やおかずとしても食べられていたようです。料理も多様化され、料理の専門家や流派なども出来始めたとされています。
食品の流通が盛んになり、全国の名産が都に集中しました。平安時代よりも食材は増え、魚や鳥や獣、他にも野菜や果物なども食べられ始めました。しかし、武士の食事は貴族と違い、実際は質素であったと言われています。
戦の戦陣食としておにぎりが誕生したり、食べ物を長持ちさせる方法として、保存食も発達しました。

1日2食だった食事も、戦の時は運動量が多いため3食以上となり、中世後期頃には1日3食が通常になり始めます。これが徐々に広まり、庶民の間でも江戸時代には3食が一般的になってきます。

武士は、そもそもは農民です。元々は田畑を耕して生活していたのですから、武士の屋敷の中には、田畑があります。それを家臣に耕させて新鮮や野菜や米を食べていたのです。武士は、貴族よりも健康で長生きするのは当然です。新鮮な野菜を使った料理は、贅沢でなくとも、美味しいことには間違いありません。貴族以上に、身体にとっては贅沢な食生活を送っていたとも言えるでしょう。

一方、貴族の食事には細かい作法が定められていたため、同じような食事が何日も続くということもあったようです。

不健康である食事に加え、室内での生活を中心に送っていた貴族は、運動不足であったこともあり、栄養失調やかっけ、目が見えなくなる病気を患い、長生きできなかったと言われています。

貴族社会の平安時代から武家政権の鎌倉時代に変わる際の食事には大きな変化がありました。それが現代の和食の原型を作っていると考えると、感慨深いものがあります。

しかしながら健康で長生きするためには、身体を動かす、新鮮な物を食べる、バランスのよい食生活というのは、いつの時代も変わらな事は間違いありません。